08.「古代朱雀大路を歩く」のレポートです!

古代朱雀大路をあるく。都(みやこ)には天皇の居所と百官が出仕する宮(きゅう)がありその周りに「条坊」と呼ばれる碁盤目の街区割りがありました。これが京(きょう)です。京の中央を南北に宮につながる大路がありました。これが「朱雀大路」です。京の入口にあるのが「羅城門」、宮の入口に立つのが「朱雀門」です。太宰府はみやこではありませんで、宮にあたるところには「大宰府政庁」がありました。そこから南にまっすぐ延びる36m幅の中央大路を、みやこにならって朱雀大路と呼んでいるわけです。ですから、道が使われていたときはなんと呼ばれていたかはわかっていません。単に大路(おおじ)とかだったかもしれません。

c0125356_17193556.jpg
小雨降る西鉄二日市駅西口に集合時間ぎりぎりに滑り込み、ご参加のみなさまとご挨拶を交わします。女性1人、男性3人です。太宰府で生まれ育った方や、流れ流れて太宰府が気に入られた方などさまざまな太宰府経験の方々です。駅の軒先を借り、昭和23年頃の付近の地図で概要を説明申し上げる。都市化の進行に驚くが、考えてみればもう60年位まえのこと、変わっているほうが当然かとも。朱雀大路付近で発掘調査現場を見学しましたが、雨天のため作業はやっていませんでした。大小、深浅さまざまな穴や溝が一面に広がっていました。この中から大宰府で着けることができる人はは大宰府の長官(帥)のみと考えれる、高位の高官が帯びていた白玉帯の丸鞆が出土していることに一同感心。でもどうしてそこに入っていたのかは?です。

c0125356_17241276.jpg
榎社ではTV日本昔話にも出た「鶴の墓」、道真さんを助けた「浄妙尼」さんを祀るお社、道真さんが太宰府に同行した子どもの一人紅姫(べにひめ)さんの供養塔を訪ねて当時の人々のことやそれをおまつりしたり大切にしてきた人々のことに思いを馳せました。参加の方々の乗せ上手にガイドも乗ってしまい時間超過で榎社を後にして、朱雀大路発掘調査後に設置された解説板を見ながら道幅を体感しました。やはり広い。そんな必要がどうしてあったのだろうかなどと話しながら、昔の県営住宅を抜けて通古賀近隣公園へ立ち寄りました。いまは御笠川から国道3号を挟んだ南にある公園ですが、区画整理前にはこの辺りが川べりであった証拠の「ドロクサンヤネのセンダン」を訪ねました。呪文のようなセンダンの意味は・・・、次回ご参加ください。

c0125356_17251177.jpg
いよいよ御笠川を渡り、大宰府政庁域に到着です。多くの人々の大切にする気持ちと、努力によってあの気落ちの良い大宰府跡の空間がかたちづくられているのかを解説板や石碑や日菅寺を巡りながら感じていただきました。

c0125356_17501188.jpg
最後は九州歴史資料館発掘調査事務所の中を見学し、出土品がどうのように整理収蔵され、展示されるのかを説明してもらいました。聞き上手の参加者のおかげで、ガイドである私も気持ちよく説明させていただき有難いことでした。おかげですっかり時間超過になりお昼を回ってしまいました。ご参加の皆様ありがとうござい増した。またお会いしましょう。(ガイド:城戸康利)

その他の写真はこちらをご覧ください。
[PR]
by dazaifuwalk | 2007-11-04 17:18