15. 御笠の里ウォーキング18km


10月18日(月)
今日はいつにも増して秋晴れのすがすがしいスタートとなった。
西鉄五条駅前に時間前から全員集まられ、皆さんの意気ごみの強さを感じる。
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六日前基山を縦走された方が四人もおられ、本当にタフな方達の集団だ。
バスで高尾まで行き、最初の目的地、牛島の地蔵石仏に向う。
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途中右手に片谷池が見えるが、これが太宰府旧蹟全図には「大人足形」と書かれてあり、結構地元の古い人達には知れわたっている事に驚く。
牛島の地蔵さんは別名「いぼ地蔵」、確かに歴史的に貴重な図像板碑だが、人々の素朴な地蔵信仰(現世利益的)な名称がつけられているのが、ほほえましい。

柴田城は昼なお暗い雑木林の中に四百三十年前の激戦の橋頭堡になった場所とは思えない位、静かである。
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城の役目を終えた後、現在のように墓地になった由縁か、宮地嶽をいっきに登る。
カイドの私は、はやる気持ちを押えてゆっくり登る。
坐骨神経痛に苦しみながら、それでも早いと指摘される、今日も反省。

童男卯女岩、今日もここからの眺めは最高、九千部・背振、遠く金山まですっり見えた。
童男卯女岩は徐福伝説から派生した地域の伝承話だが、すぐ側にある烽火場跡は、れっきとした歴史上の事実、フェートン号事件に関連する遺跡である。
黒田藩の亀井昭陽の烽火日記に詳しくのべている。

宮地岳はここから急坂となるが、皆さんスムーズに尾根上にたどりついたが、山頂まできて三角点の位置の高度が三百三十八米と書いてあるのを見ると、意外と低いのに驚かれていた。
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下山時に右側のやぶこぎを降りていくと、古代山城阿志岐城の第三水門が見えてきたのだが、昨年にくらべると草がおい茂って、全体的な大きさがわかりにくかった。少し残念!!

麓におりて宝満川沿いに、万葉歌碑が四基、それぞれ今日の天気と相まって、蘆城の素晴らしい光景が、それなりに、おわかりいただけたのではないかと思う。皆さんと気持ちよくお別れした一日でした。
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文 ボランティアガイド:小沼
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