18.御笠の里14kmウォーキング
10月11日(日)朝、午前8時20分、西鉄五条駅前で準備運動を終えて参加者13名、スタッフ4名の計17名で「まほろば号」に乗車、他に乗客はなく貸切状態で出発し、梅ヶ丘公民館前で下車、天候は良く早速ガイド役の小沼さんを先頭にウォーキングを開始しました。
約15分程度の平地のウォーキングで最初の目的地「牛島地蔵石仏」に到着、この石仏は田んぼの中の道路の片隅にあり、地元の人以外は見過ごしてしまいそう・・・ところがこの地蔵菩薩の左側に「乙丑」の干支が刻まれており地蔵菩薩が刻まれた板碑としては九州では最も古い物とのこと・・・うれしい発見に皆感動!!
次の目的地柴田城跡を目指してウォーキングを開始、ほぼ正面に宮地岳の全景を眺めながら「童男卯女岩」って知ってる?どれかな?見える?・・とお喋りしながら健脚ぞろいの参加者の皆さん、ぜんぜん余裕で小高い丘にある柴田城跡に着きしました。
えっー!!ここがほんとうに城跡なの?・・そこは雑木林の中に数個の墓石があるのみで城の痕跡をすぐには確認するのが困難な状態になっていましたが小沼さんの説明を聞いて良く見ると曲輪(くるわ)を中心に、周囲雑木林の中に堀や土塁を見出すことができ筑紫広門の端城「柴田城」の面影を残していました。
その後、少し平地を歩いてからいよいよ宮地岳山頂への山道に入り次の目的地「童男卯女岩」を目指し、山道ウォーキングが続きました。参加者の皆さんはまだ余裕を持った歩き方で全員まとまって「童男卯女岩」のある見晴らしの良い場所に着きました。
先程歩いていた平地から見えないのが不思議なくらい大きな岩なのにと・・・この岩は、宮地岳と連なっている天山(あまやま)の一角にあり、2300年前の除福伝説が詰まった岩に夢を巡らせたり、また前方に見える基山や背振山系の景色の素晴らしさに汗をかいた身体が癒される気分を味わいました。
更に「童男卯女岩」のすぐ後方には「のろし台跡」の木柱が建っており、江戸時代後期にイギリス艦船フェイトン号が長崎港に侵入して来たことを機に烽火(のろし)をあげて長崎から小倉までリレー式に伝達する仕組の一端を目にすることができました。
この後、今回のコースのメインとなっている宮地岳山頂を目指して山道ウォーキングを続けました。山頂の標高は約340mとさほど高くないものの急峻な山道が続き、一列になって登る参加者の皆さんの間隔が開くこともありましたが山歩きのベテラン小沼さんが都度立ち止ったり、スピードを緩めたりしながら極力まとまって歩き午前11時頃に山頂にすぐ手前にある宮地岳神社に到着しました。
この宮地岳神社は宗像にある宮地岳神社を分社したもので周囲に防塁があり古代山城的様相をしていたそうで小さな石の祠や礎石等の一部がほとんど手付かずの状態で残っていました。山頂はもうすぐ先ですのでここで充分時間を取って水分や栄養補給しました。
休息後、数分で宮地岳山頂に到着、周囲は雑木林に覆われ見えるものは何もありませんでしたが数人の参加者の方が三角点の標識に触れ山頂を肌で感じ取っていました。
山頂からは降りのウォーキングが始まりで膝に負担がかからないよう皆比較的慎重に歩き続けました。山の中腹ぐらいまで進んだ所では目に付きにくい所にある阿志岐城の防塁(水門)を見ることができました。
そして中阿志岐公民館の横を通り過ぎて山降りがようやく終わり中阿志岐地区に到着しました。道路のすぐ傍に石碑が立っており、万葉歌碑が刻まれおり作者不詳ですがこの地で見た風景を「珠蓮(たまくしげ)蘆城(あしき)の川を今日見ては満代までに忘らえめやも」と・・・歌われている景色の素晴らしさに一息入れましたが、これから大宰府天満宮まで約5kmの最後のウォーキングが待っていました。
途中、田んぼの中にぽつんと立っている約2畳の大きな的石(まといし:約2km先から弓矢の稽古をした的とのこと)に・・うっそ~?、また蘆城(あしき)の駅家(うまや)跡の推定場所確認に興味津々・・そして吉木小学校校庭と小学校の手前50mの道路脇に立っている万葉歌碑に古(いにしえ)の情景を思いつつ天満宮の手前に見える宮の森団地を目指しました。
最後の登りとなる宮の森団地への約30段の急な階段が疲れた身体に一番きつく感じられました。登りきった所で取り合えず全員休息を取り、呼吸を整えました。
宮の森団地から天満宮まではゆるやかな降り坂で楽に歩いて最終目的地に到着しました。
予定時間を少しオーバーしたものの皆さん元気に到着し「きつかったけど楽しかった!!」との感想を頂きスタッフも大いに満足でした。
ボランティアガイド:嘉村