2010.11.15(月)

 目に見える史跡が少なく地味なコースですが、九州歴史資料館、太宰府市教育委員会及び筑紫野市教育委員会による掘削調査などの資料に基づき案内しました。古代 新羅など外国からの賓客が通った古代官道や推定朱雀大路・大宰府条坊の様子が、現在の町中に垣間見ることができ、ロマンを感じるコースです。
c0125356_1426245.jpg 案内に当たり、水城跡とは、古代官道とは、朱雀大路とはなにか概略説明し、水城駅をスタートしました。

スタートして水城の西堤への途中「ててこ父子しま島」の横を通ります。水城は、築堤にあたり多くの人が駆り出されました。その名もなき人々の苦労の伝承の場所です。


c0125356_1428202.jpg 「水城西門跡」 水城西堤では、銀杏のじゅうたんに迎えられました、その中で、水城の出来るまでの話、水城の構造などについて説明し、西門では、鴻臚館から水城までの古代官道および、西門の掘削調査の結果から9mの官道が通っており、楼門があったことを説明しました。


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「島本遺跡」

 現在マンションのリニュアール中でありましたがこのマンションを建設するとき、古代官道の遺跡が確認された所で、一階の駐車場をカラー舗装をして、官道の大きさ、方向を見ることができる所です。

c0125356_14391847.jpg途中、二つの神社が合祀された土地の氏神さま「宝満宮・八幡宮」を案内し、日焼遺跡へと歩を進めました。
「日焼遺跡」 史跡解説版はありませんが、掘削調査で水城西門に向かう官道遺跡が出てきた所であることを太宰府市から提供を受けた掘削写真で説明しました。

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c0125356_1665361.jpg 「前田遺跡」 前田遺跡は、古代官道の大きさ、方向が実感できるところです。公園内に、路面と側溝の位置を色レンガで表示してあるので、参加者全員に道路幅いっぱいに並んでいただき体感してもらいました。






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c0125356_14561615.jpg 「剣塚遺跡」 写真の向こう側が水城西門方向で、前田遺跡、日焼遺跡、島本遺跡がほぼ一直線上にある官道の遺跡が発掘された所です。



c0125356_14583047.jpg 「杉塚廃寺」 ここは、太宰府条坊の西南方向(裏鬼門)にあたります。詳細は分かりませんが、廃寺にまつわる伝承、発掘結果をふまえ説明しました。







c0125356_14595995.jpg 杉塚廃寺の掘削に伴い公園化した中の東屋で、これから案内する「大宰府条坊」についいて説明し、推定条坊22条へと向かいました。







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 推定大宰府条坊22条については、史跡解説版はないけれど、筑紫野市教育委員会の調査で推定22条路及びそれと直交する条坊5坊路、3坊路、1坊路の遺跡が確認されたので紹介しました。





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 六反交差点と立明寺地区遺跡は、推定朱雀大路の姿が現在の町並みに残っており、大宰府条坊を理解しやすい所でありますので、案内するにも楽しい所です。





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 近年、入船地区と旧西鉄操車場で条坊左郭1坊付近の掘削調査が行われていますので、その現地を案内しました。









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c0125356_1541983.jpg 「榎社付近の発掘調査報告」 榎社付近では、推定朱雀大路と条坊内の古代の生活の姿が分かる遺跡が発掘されています。









c0125356_1551765.jpg 「榎 社」 榎社は、道真公が幽閉されていたときの生活が偲ばれるところでありますので、その様子と神行式について説明し、大宰府政庁跡へ向かいました。






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 大宰府政庁跡に到着、古代新羅の使節団が到着したときの様子を想像図を用いてお話しました。







知らなかった大宰府を勉強でき、嬉しかったと感想をいただきました。

「ボランティアガイド」杢尾、石橋、上園、神吉 [レポート]上園
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2010.10.30(日)
c0125356_21484181.jpg 多くの人に大宰府について、何処をご存じですかと尋ねると天満宮や国立博物館の名前しか出てこない事が多いのです。大宰府にはその他にも多くの名所、旧跡、自然、伝承があるので、それらについてご紹介したいと、このコースを設定したことを紹介し出発しました。




c0125356_2149414.jpg 「老松神社」天満宮にゆかりのある神社として老松神社など多くの神社が県内には多くありますが、ここの神社は道真公と特異な背景を持つ神社であることを、紹介しましたらこんな所があるとは知らなかったと喜ばれました。
 次の水城跡まではしばらく歩きましが、お互いに話ながら楽しく歩を進めることができました。

 「水城跡」国の特別史跡であります。7世紀頃の日本と朝鮮半島、中国の関係を説明し、水城が出来たい経緯や水城の構造などを説明して国分丘陵の眺望所へ向かいました。
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 国分丘陵の里山を四王寺山方向へ12・3分登って行くのも気持ち良いもので、眺望所に着いて、水城跡の全貌や3つの小水城、福岡ドーム方面を眺望できたとき、皆さん満足していました。
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 水城眺望所より次へ向かう途中、岩屋城のよく見える所があります。ここは御来光を拝める所であることを紹介しました。


c0125356_2305112.jpg 「陣の尾古墳」向佐野、大佐野方面、筑紫野市には多くの古墳がありますが、太宰府市内には古墳はあまりありません。この古墳は、大宰府では数少ない古墳で、保存1号の円墳であります。






 全国に国分寺という地名がありますが、8世紀中ごろ天皇の詔により各国に国分寺と国分尼寺が建立されました。筑前国分寺は、太宰府、筑紫野から良く見える高台に建てられています。付近の地形には寺領の跡がみられます。文化ふれあい館には七重塔の1/10の模型があります。









 1/10の七重塔を鑑賞した後、ふれあい館の屋根瓦(筑前国分寺の鬼瓦、唐招提寺の鴟尾瓦)を鑑賞しながら、万葉の小径を通り坂本地区へ向かいました。途中、四王寺山へ上る車道付近に渡り蝶「アサギマダラ」が乱舞する所がありますが、今回はタイミング悪く数羽しか見ることができませんでした。
 坂本地区では,盲僧琵琶開祖・玄清法印、殿御殿、オカッテンサンの伝承などを話ながら大宰府政庁跡へ向かいました。


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c0125356_228829.jpg「大宰府政庁跡」国の特別史跡であります。7世紀中頃に大宰府政庁が出来た経緯やその任務について説明し、掘削調査の結果明らかになった大宰府政庁の盛衰を説明しました。また、現在の姿が保たれているのは先人たちの努力によるものであることを説明しましたら、皆さま興味深く聞き入っていました。

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      [政庁跡の姿] 左:現在 右:昭和40年頃  ※史跡説明版より

c0125356_21403544.jpg 「武藤資頼・資能の墓」資頼が鎮西奉行として九州に下向し、元寇の役において父子が活躍した状況と2人の墓の特徴を説明しました。太宰府にこのような所が有るとは知らなかったと喜んでいました。




左が、資頼の墓・一石隅切五輪塔残欠
右が、資能の墓・宝篋印塔

 「学校院跡」戒壇院への途中「学校院跡」があります。当時の教育制度の中での「府学校院」について説明しました。また、ここから出土した「模様?」について説明しました。太宰府市では、史跡を一人でも伝い歩くことができるように天満宮から水城まで「散歩道」を策定し、?のレプリカを50m毎に埋設表示していることを紹介しました。
 「観世音寺と戒壇院」「府の大寺」と呼ばれた観世音寺では戒壇院を含め、その生い立ち、創建当時の伽藍、国宝・梵鐘などを説明しました。また、宝蔵には国の重要文化財に指定されている18躯の仏像が安置されているので、機械を作り入館されることを進めました。(戒壇院と観世音寺)
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 「旭地蔵と横岳崇福寺跡」旭地蔵を紹介し、横岳崇福寺跡で寺院の生い立ち、当時の伽藍の大きさや岩屋城の戦いで焼滅したことなどを説明しました。
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c0125356_21441017.jpg 「原山無量寺跡と浦之城跡」原山無量寺では、浦之城の説明版があるのみですが、当時の伽藍の大きさは壮大なもので、また、足利尊氏が軍勢を整え京に攻め上り、北朝を創立したことなどを説明しました。





約6時間、9kmの道程でありましたが、政庁跡での昼食の評判もよく、知らなかった太宰府を広く巡り、楽しく、勉強になったと喜ばれました。

「ガイド」林 前田 島松 河辺 上園  [レポート]上園
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11月22日(月) 
朝からすっかり雨模様の中、「雨天中止」覚悟で集合地「西鉄太宰府駅前」に急ぎました。
流石にスタッフ4名(杢尾さん・河辺さん・林さん・市川)は全員集合したものの、お客様はまず無理だろうと思いきや、何と4名の参加を頂きました。 新宮町からのお客様もみえて全員で協議、結果衆議一決「雨中実施!」が決まりました。 
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まず、バス「まほろば号」で「竈門神社」に向かいました。「政庁」の鬼門を守ると言われている神社ですが、歴史は意外と古く神武天皇の母君である「玉依姫」の伝承も残っています。
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まずは林さんのガイドで周辺の紅葉を全員で眺めながら、竈門神社の由緒と周辺の石碑、又杖術の流祖「夢想権之助」の記念碑、清少納言の父「清原元輔」の歌碑を雨天にも拘わらず丁寧に笑顔を交えて説明、背景の紅葉と相まって話に彩りを加えた様に感じました。
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あと昔の「参詣道」の一部を辿りながら、最近出来た「石村萬盛堂太宰府工場」に着きました。
「石村さん」の配慮で工場見学を許され、茶菓の接待まで受け、作業内容の説明を聞きました。
わけても「献上鶴の子」は絶品でした。「石村萬盛堂さん」、それに説明して頂いた「大和恵子さん」、有難うございました。

天満宮の境内に入り、まず「お石茶屋」で「おいっしゃん」の姪御さんにあたる美人の現主人から心づくしの「梅が枝餅」を頂きながら、付近の「吉井勇」「富安風生」の歌碑を杢尾さんから説明を受けました。流石説明内容が深く、時間があればいくらでも続いたでしょうが、次の「荻原井泉水」「芭蕉」「高浜年男」等などの歌碑に進みました。 境内には文学に縁の深い「道真公」に因み和歌、俳句の記念碑は多々配置されており、歌碑のみでも一日ゆっくり楽しめるコースです。

最後に九州の苔寺と言われる「光明禅寺」で紅葉の絶景を楽しみました。 特に茶室側からみる景観には、皆さん無言で見入っていたのが印象的でした。
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結局、終日雨天で予定の半数以下のお客様でしたが、それだけに中身の濃いお話を交わす事が出来、スタッフ一同も充分楽しめた一日でした。 次回、11月28日(日)のお天気を祈りながら、皆さんとお別れしました。

ボランティアガイド 市川記
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11/29(月) 歩かんね日和

[参加者]女性21名男性4名
[解 説]山村さん
[スタッフ]5名
 
竈門神社駐車場に集合、ここからは 九千部山~背振山にかけての山並みが眺められるとてもよい場所です。
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整然と礎石が並んでいるところは、竈門山寺の跡です。7間×5間の総柱式建物遺構が確認されました。観世音寺講堂と同じ程の大きさだったそうです。
最澄が遣唐使船の航海の安全を祈って薬師仏四体を彫ったと言われているのがこの寺です。


反対側に鎌倉時代の刀鍛冶金剛兵衛の墓があります。
ここ一帯のもみじは見事!皆さんただ今カメラマンに変身中。
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石段を上った神鹿園は落葉した銀杏で一面黄色の絨毯!なんとも幻想的な光景に感嘆の声が上がりました。


本殿右側面に宝満山の四季の写真が展示していました。
写真を見ながら、宝満山の歴史、眺望、冬景色等の説明を皆さん興味深く聞いていました。
縁結びの神として知られていて、再会を祈ったという再会の木=サイカチの木があります。
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山の図書館 金剛兵衛が使用したと言われる井戸を過ぎ九重原に向かいます。


九重原からは正面に四王寺山があり、福岡方面も見渡せます。
宝満山の僧坊は最盛時には370坊が山麓の、内山、南谷、北谷にあったそうです。中世の石垣が残っています。


山道に入り、辛野遺跡、有智山城跡を目指します。

今年はイノシシの出没の情報が多く、この辺りも出るらしいとの事で用心の為参加者一同、間を空けずに山道に入りました。
辛野遺跡は、中世の建物跡(数寄屋風建物)があった場所ですが残念ながらその場所までは行きませんでした。


有智山城跡は、少弐氏の居城です。整備され、空堀、石垣を見ることができます。
ここから少し登り、北谷方面と休み堂方面への分かれ道を北谷方面に下ります。
山道の登り下りでそろそろお腹も空いてきました。お昼が楽しみです。
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北谷窯に到着。
御主人の佐々木さんに、登り窯の説明をしていただきました。
参加者の質問に気軽に応じてくださり、興味深いお話を聞くことができました。


竈門神社遥拝所を経て待ちに待った昼食場所の斎藤マチ子さんのお宅まではもう少しです。
その前に北谷公民館でトイレタイムです。


庭のテーブルを囲み、炊きたて熱々の鶏飯、鶏汁、和え物、がめ煮、なますに漬物を美味しく頂きました。おかわり自由でほとんどの人がおかわりに席を立っていました。
冬の陽だまりの中、和気あいあい幸せなひと時でした。暖かいおもてなしに、参加者全員、心もお腹もいっぱいになりました。
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いよいよ最後の都府楼焼きの山本温子さん宅です。都府楼焼の素敵な器で出して頂いた赤米のおはぎとお抹茶をほっこり気分で美味しく頂きました。
作品を鑑賞しながらアンケートを参加者の方々に記入して頂きました。
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全日程を予定通り無事終了できました。ご参加の皆さん有難うございました。
詳しく解説して下さった、山村さん有難うございました。
斎藤さん、北谷窯、都府楼焼きの方々御協力いただき有難うございました。


最後に「楽しかった、又参加したい、美味しかった」等々の暖かい言葉を掛けていただき、スタッフ一同大変嬉しく感謝、感謝です。

レポート ボランティアサポーター:林
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11月23日(火・祝)
本コースは超健脚の人を対象とした三つの登山コース内の一つで、観世音寺を出発点として古代山城の大野城遺跡や中世の戦いの跡の岩屋城、さらには山中の紅葉や景勝を探勝しながら四王寺山を歩くコースです。

歩かんねからは主ガイドに小沼さん、写真担当に神吉さんそしてサポーターとして河辺が担当しました。
お客様は21名、その内男性は9人女性12人でした。

当日、集合地の観世音寺境内では、集まった皆様が出発を待ちながらそれぞれ準備体操に余念なく、皆さん「歩くぞ」と気合十分の様子、こちらも気合が入りました。

主ガイドの小沼さんの冒頭説明のあと、全員で準備体操を行い出発しました。
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まず山裾にある武藤資頼、資能の墓に行きました。武藤資頼は鎌倉、室町時代に主に筑前、肥前、豊前で活躍した武藤小弐一族の祖となる人で資能はその子供です。
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ここを過ぎると山間部に入り急坂になり、周囲は県民の森公園になっており紅葉が綺麗でした。
中腹の尾根部には岩屋城跡があり、戦国末期に小勢で島津の大軍と戦って壮烈な討死を遂げた高橋招運とその家来達の守った城跡で、眺望を楽しみながら皆さん小沼ガイドの説明を熱心に聞いておられる様子でした。

尾根まで登ると大野城の土塁が現れ、続いて大石垣、水城跡城門礎石とおおよそ1300年前の遺跡が続き最高峰の大城山に到る。道はアップダウンが険しく特に大石垣の手前の急坂は崖を下るのに等しい程でしたが、皆さん元気に歩かれていました。
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紅葉谷を過ぎて八つ波広場で昼食。風が冷たく全員が防寒衣を着用して食事をとる事に。
午後は舗装林道をしばらく歩き百閒石垣、林道を右に分かれ山道に入り小石垣に至る。
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田んぼの脇の急坂を上りきると村上礎石群さらに尾根道を歩いて焼米ヶ原に至る。
焼米ヶ原は1300年前の倉庫群の跡で炭化米が見つけられるとの説明を受けて、探し始める人がおられ、最高4粒も発見した人がいました。
焼米ヶ原からは下山道になり水瓶山を経由して麓に到り、集落を通って終点の大町公園に帰り着いた。
トータル7時間のハードな山歩きコースなのでやっぱり終わり頃になると遅れ気味になる人もおられたが弱音を吐く事無く一生懸命歩かれ見事にゴールされました。また全員の方が、ガイドの説明を熱心に聴いていただき私たちも楽しいウォーキングになりました。
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文 ボランティアサポーター:河辺
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10月18日(月)
今日はいつにも増して秋晴れのすがすがしいスタートとなった。
西鉄五条駅前に時間前から全員集まられ、皆さんの意気ごみの強さを感じる。
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六日前基山を縦走された方が四人もおられ、本当にタフな方達の集団だ。
バスで高尾まで行き、最初の目的地、牛島の地蔵石仏に向う。
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途中右手に片谷池が見えるが、これが太宰府旧蹟全図には「大人足形」と書かれてあり、結構地元の古い人達には知れわたっている事に驚く。
牛島の地蔵さんは別名「いぼ地蔵」、確かに歴史的に貴重な図像板碑だが、人々の素朴な地蔵信仰(現世利益的)な名称がつけられているのが、ほほえましい。

柴田城は昼なお暗い雑木林の中に四百三十年前の激戦の橋頭堡になった場所とは思えない位、静かである。
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城の役目を終えた後、現在のように墓地になった由縁か、宮地嶽をいっきに登る。
カイドの私は、はやる気持ちを押えてゆっくり登る。
坐骨神経痛に苦しみながら、それでも早いと指摘される、今日も反省。

童男卯女岩、今日もここからの眺めは最高、九千部・背振、遠く金山まですっり見えた。
童男卯女岩は徐福伝説から派生した地域の伝承話だが、すぐ側にある烽火場跡は、れっきとした歴史上の事実、フェートン号事件に関連する遺跡である。
黒田藩の亀井昭陽の烽火日記に詳しくのべている。

宮地岳はここから急坂となるが、皆さんスムーズに尾根上にたどりついたが、山頂まできて三角点の位置の高度が三百三十八米と書いてあるのを見ると、意外と低いのに驚かれていた。
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下山時に右側のやぶこぎを降りていくと、古代山城阿志岐城の第三水門が見えてきたのだが、昨年にくらべると草がおい茂って、全体的な大きさがわかりにくかった。少し残念!!

麓におりて宝満川沿いに、万葉歌碑が四基、それぞれ今日の天気と相まって、蘆城の素晴らしい光景が、それなりに、おわかりいただけたのではないかと思う。皆さんと気持ちよくお別れした一日でした。
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文 ボランティアガイド:小沼
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