18コース 城の山道と基肄城ウォーキング
4月20日午前8時30分、曇天にも拘らず、12名の健脚者達が天拝山駅に集まられました。
午前中30%降雨可能性だったので、挙行しましたが皆さん雨具の用意もきちんと準備された中、スターしました。
天拝山駅から日尾山の麓までは、緩やかな登りで、一時間余、筑紫野平野の真中を横断するようなウォーキングを楽しみました。
萩原山谷から山中に入ると10分位で日尾山の鞍部に到着し、さらにそこから5分位で原田反射反のある日尾山山頂に到着します。
ここは江戸時代の地図では火の尾という名が書かれ、古代の烽火場かと推定されます。
北側に向かって展望が開け、古代城の山道がこの火の尾の西側を通って、大宰府政庁方面に直線に走っていた事が、筑紫野市が発掘して立明寺C遺跡の報告からもわかっています。
日尾山を下って、両国峠につながる道を南へ向かうと、途中から基肄城東北門へと進む山道を登り始めます。
皆さんは登ったり、下ったりの繰り返しが続いたのですが、誰も遅れずにあっという間に東北門跡に到着しました。
東北門の所は土塁の大きさに驚かれたと思います。
そこから西峰の土塁線をめざして、更に登りました。途中、丸尾礎石群という城内の倉庫十数棟が西峰からの一つの尾根線上に礎石群を残していました。
千三百年前位の古瓦の残欠もあちらこちらに見られる所です。
11時30分頃、山頂到着、屋根付きの展望台で食事をとり、天気予報道り午後80%の雨が襲いかかってきました。
この雨にも負けず参加の皆さん達は、リーダーの指示に従って下山していただきました。
途中東峰のツツミ跡、米倉跡を見学して、最後の見学場所水門に到着しました。
残念乍ら、崩壊が進んで石垣は青いビニールにおおわれ全容は見えませんでしたが、水門の大きさには土塁同様めずらしいと思われたようです。
13時30分頃、予定より2時間早くきりあげたのですが、皆様満足されたでしょうか、「雨も自然です」とばかりに引張りまわしたリーダーを何卒お許しください。
[ボランティアガイド:小沼秀人]