07.宰府参り(西)の道を辿る

2011.5.17 コースNo7 「宰府参り(西)の道を辿る」

このコースは従来の定番コースに若干の手直しを加えて、今回初めて設けたので、多少不安を持ちながらも、周囲の期待と応援も頂き、会としても力を入れているコースです。

「太宰府天満宮」建立以来、古くは平安鎌倉、中でも江戸時代に盛んになった「天神信仰」で当地にお参りに来た往時の参詣道「日田街道」を辿り、「水城跡」から「天満宮」までを太宰府が誇る道中の史跡を眺め楽しみながら歩くコースです。

今日は風もなく汗ばむばかりの快晴の中、お客様4名・スタッフ4名・計8名が「都府楼前駅」に集合、若干の事前説明の後、まず本コースの出発点となる「水城跡」まで少々汗をかきますが国道を歩いて頂きました。
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途中「稲子地蔵」の伝承を前田さんがユーモアを交えながら説明、少人数のせいもあり、一同すっかり仲良くなり夫々私語を交せながら、メインの「水城跡」に到着。

「水城跡」では当時の倭国・東アジア情勢の概要説明の中で663年の「白村江の戦」を位置づけ、築造目的・規模などに加え、着工時期・工期への疑問を挟みながら解説、次の「衣掛神社」に向かいました。
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「旅人の歌碑」を含めすっかり場慣れした河辺さんの解説に、一同納得納得の様子。 
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この「宰府参り参詣道」には史跡が連続して残されており、道中解説説明する対象には事欠きません。  

「十三仏」の次は「刈萱の関跡」です。
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ここでは史実と同時に謡曲でお馴染の「石堂丸」の伝承を高野山・長野善光寺に話を広げ解説、次は天満宮への「一の鳥居」に案内、石鳥居・灯ろう・潮干台・道標等について当時の「宰府参り」の風潮と古代官道も含め説明しながら「遠賀団印発掘跡」を経て、最終の「政庁跡」へ。

太宰府は663年「白村江の戦」が転機で生まれた都であり、政庁が全ての中心に位置する様に設計された人工の風水都市と言われています。
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以降平安末期までは朝廷に対して九州地域の総務・税務、又対外的には我が国の外交窓口としての機能を持つ謂わば九州総鎮守府としての役割を持っていました。
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政庁の正殿に立ち、「蔵司」「月山」「条坊制」「3本の顕彰碑」及び「史跡保存の問題」の解説、最後は四王子山から湧き上がってくる霊気を全員身体全体で吸収、これで身も心も洗われてくれれば・・・・と念じつつ、お客様には「宰府参り」の後半「東コース」への参加を呼び掛けて、次の出会いを期してお別れしました。
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最後に一人のお客様から「少人数で勿体なかった・・・・」と言って頂いた言葉が、スタッフにはひいては「歩かんね太宰府」への何よりの贈り物でした。

ボランティアガイド:市川記
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