12. 古代官道・朱雀大路ウォーキング
目に見える史跡が少なく地味なコースですが、九州歴史資料館、太宰府市教育委員会及び筑紫野市教育委員会による掘削調査などの資料に基づき案内しました。古代 新羅など外国からの賓客が通った古代官道や推定朱雀大路・大宰府条坊の様子が、現在の町中に垣間見ることができ、ロマンを感じるコースです。
案内に当たり、水城跡とは、古代官道とは、朱雀大路とはなにか概略説明し、水城駅をスタートしました。
スタートして水城の西堤への途中「ててこ父子しま島」の横を通ります。水城は、築堤にあたり多くの人が駆り出されました。その名もなき人々の苦労の伝承の場所です。
「水城西門跡」 水城西堤では、銀杏のじゅうたんに迎えられました、その中で、水城の出来るまでの話、水城の構造などについて説明し、西門では、鴻臚館から水城までの古代官道および、西門の掘削調査の結果から9mの官道が通っており、楼門があったことを説明しました。
「島本遺跡」
現在マンションのリニュアール中でありましたがこのマンションを建設するとき、古代官道の遺跡が確認された所で、一階の駐車場をカラー舗装をして、官道の大きさ、方向を見ることができる所です。
途中、二つの神社が合祀された土地の氏神さま「宝満宮・八幡宮」を案内し、日焼遺跡へと歩を進めました。
「日焼遺跡」 史跡解説版はありませんが、掘削調査で水城西門に向かう官道遺跡が出てきた所であることを太宰府市から提供を受けた掘削写真で説明しました。
「前田遺跡」 前田遺跡は、古代官道の大きさ、方向が実感できるところです。公園内に、路面と側溝の位置を色レンガで表示してあるので、参加者全員に道路幅いっぱいに並んでいただき体感してもらいました。
「剣塚遺跡」 写真の向こう側が水城西門方向で、前田遺跡、日焼遺跡、島本遺跡がほぼ一直線上にある官道の遺跡が発掘された所です。
「杉塚廃寺」 ここは、太宰府条坊の西南方向(裏鬼門)にあたります。詳細は分かりませんが、廃寺にまつわる伝承、発掘結果をふまえ説明しました。
杉塚廃寺の掘削に伴い公園化した中の東屋で、これから案内する「大宰府条坊」についいて説明し、推定条坊22条へと向かいました。
推定大宰府条坊22条については、史跡解説版はないけれど、筑紫野市教育委員会の調査で推定22条路及びそれと直交する条坊5坊路、3坊路、1坊路の遺跡が確認されたので紹介しました。
六反交差点と立明寺地区遺跡は、推定朱雀大路の姿が現在の町並みに残っており、大宰府条坊を理解しやすい所でありますので、案内するにも楽しい所です。
近年、入船地区と旧西鉄操車場で条坊左郭1坊付近の掘削調査が行われていますので、その現地を案内しました。
「榎社付近の発掘調査報告」 榎社付近では、推定朱雀大路と条坊内の古代の生活の姿が分かる遺跡が発掘されています。
「榎 社」 榎社は、道真公が幽閉されていたときの生活が偲ばれるところでありますので、その様子と神行式について説明し、大宰府政庁跡へ向かいました。
大宰府政庁跡に到着、古代新羅の使節団が到着したときの様子を想像図を用いてお話しました。
知らなかった大宰府を勉強でき、嬉しかったと感想をいただきました。
「ボランティアガイド」杢尾、石橋、上園、神吉 [レポート]上園